終戦の詔勅

8月15日は終戦記念日か・・・Twitterに流れてきて思い出した。

そういえば靖国神社行ってきた

終戦記念日で思い出したけど、このまえ靖国神社に行ってきた。終戦記念日じゃなく8月1日。
平日の午前中に紀尾井町に用事があって、夕方は本郷の方に行くつもりだった。

土地勘が無い人のために補足すると、皇居をど真ん中にした時計に見立てると、9時のところが紀尾井町、12時のところが本郷。東京駅が4時のところである。

時間があったので途中どこから寄ろうと思って探していたら、靖国神社にある遊就館というのが目に留まった。靖国神社は前述のたとえでいうと11時のところなので丁度通り道なのだ。

靖国神社というと・・・なんかこう右翼の人が溜まってて、ちょっとヤベーところというイメージがあったので、あまり近づきたくなかったけれど、遊就館のほうはちょっと興味があった。復元された零戦(零式艦上戦闘機)が展示されているというからだ。自分はもともと重工のエンジニアで、風立ちぬなんかも見たので実機はどうなのかなぁと。

展示エリアは撮影禁止で、撮影できるのは入り口ホールと大展示場だけだったから、写真も殆どないんだけど・・・展示は凄かった。

これは入り口ホールに展示された零式艦上戦闘機52型。
詳しくはWikipediaを見て欲しいけど、空母から発着できる戦闘機として開発されたもので、第二次世界大戦の初期~中期の主力になった戦闘機。52型なので中期~後期型である。この大きさでエンジンは1130馬力というから凄い。(z4は250馬力、135iは306馬力で自動車とは桁が違う)

零戦は52型だけでも6000機も生産されたものの、殆どが撃墜されて現存していない。この機体はラバウルから引き揚げてきて復旧したものだそうだ。

あとこっちは彗星という名前の艦上爆撃機。空母から離着陸できるタイプの爆撃機。

外観が零戦と全然違うけど、これはエンジンが水冷式のため。当時の日本のエンジンは空冷式といって、ラジエータが無いタイプが主流だったのだけれど、風で冷やすのでは限界があって、高性能なエンジンはどうしても水冷にせざるを得なかった。

今どきの自動車もみんな水冷。口のようにガパッとあいている所は奥にラジエータがあって、車のグリルに近い。

そんなことより・・・

まぁ兵器の解説は好きな人が一杯るから、そういう人に譲るとして・・・展示を見た感想としては、やっぱり戦争は狂気だなと。
ものすごい量のモノ・ヒト・カネが注ぎ込まれて、残るのは死ばかり。

技術の発展だとか副産物もあるだろうけど、戦わずに済んだらどれほどいい世界になっていたのかと思わずにはいられない。でも、お互い譲れないところがあって、仕方のないことだったのだろうなぁとも思う。

そして展示だけでなく、「展示を見ている人」も興味深かった。

新婚旅行で来た感じの外国人カップル…あまり興味はないようだ。

その辺で見かけそうな老夫婦…刀剣に興味があってきた若いグループ。

兵器オタクっぽい感じの人たち。

「なんだ日本国民としてそんなことも知らなかったのか!良く勉強しろ」と子供を𠮟りつけている右寄りの家族。

う~ん・・・。

ここで先のちきりんさんの終戦の詔勅(しょうちょく)の現代訳に話が戻るんだけど・・・

最初に米英二か国に宣戦を布告した理由も
日本国の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、
他国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることは、もともと私の目指すところではなかった。

何か…深いなぁ。みんな良かれと思ってやったんだろうけど・・・という、悲しさが。

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