ブログ紹介(2)/Books&Apps

こんにちは。ブログ紹介第二弾としては、よく読むブログBooks&Appsを紹介したいと思います。これはブログなのかと言われると、実は違うのかも…という気もしますが。

https://blog.tinect.jp/ Books&Apps

Books&Appsさんは、オウンドメディアのコンサルティングをされているティネクト株式会社が提供しているサービスとのことです。
オウンドメディアとは、私には聞きなれないワードでした。簡単に調べると、広告・マーケティングを主目的としつつ、幅広い客層にコンタクトするために広告に限らず情報発信を行うサイト・・・のようです。

まぁ正直良く分からないのですが、掲載されている記事が面白いのでお勧めです。
事業内容に“オウンドメディアのコンテンツ提供”とあり、事業として他社の記事を書いたりしているようです。このためか、どの記事も起承転結がしっかりしているというか、ちょっとしたショートストーリーになっており、読みやすいのです。

また、いずれの記事もうまくまとまっておりながら、ジャンルがばらばらであるところも面白いです。
仕事人としての啓蒙や問題提起のものもあれば、しょうもない面白い事を紹介している記事もあります。


最近の記事で面白かったのをいくつかピックアップしますと・・・

「期待」というものは、裏切られると「苛立ち」、場合によっては「憎悪」に容易に変化するため、扱いが非常に難しいです。

https://blog.tinect.jp/?p=64150

期待というと、漠然とポジティブなものだと捉えてました。「よーし、期待しよう」的な軽いノリで期待してました。
でも、前述の期待を裏切られたら…は確かにそのとおりです。期待の本質的なところを突いた表現だと思いました。
なぜ職場やプライベートでイラつくのか?大半の場合、何らかの形で期待していたからと考えられませんか。少なくとも、自分の場合は確かにそうでした。

そう考えると、期待は一種のリスクもある行為であって、慎重にせねばなと…気づかされました。何でもかんでも無意識に期待してしまうと、無意識に憤りを感じたり、不愉快になったりしてしまうわけです。期待することで結果が変わる事ならまだマシですが、期待しても結果が変わりそうもないことを期待するなんて、たんにリスクをしょうだけで、何にもならないわけですからね。

実際、自分自身が憤りを感じたり、或いは怒っている人を思い浮かべてみると、基本的には何らかの期待を裏切られたことが原因と言える…といえば言えるんじゃないでしょうか。

記事では具体的な9種類の「期待」について述べられてます。個人的には大げさかなと思うものもありますが…でも、ガッカリする、イラっとする原因をうまく解析していると思います。

この安達 裕哉さんは代表というだけあって、書いている記事一つ一つのテーマが重いです。そして切り口が鋭い記事が多いですね。


社内の共有フォルダで、自分が使うフォルダがソートで上の方に来るように「〇」とか「☆」とかの記号をフォルダ名につけ始めて、一時期「☆コンプラ☆」みたいにゆるふわ系日常コンプラ漫画かよって感じのフォルダ名でファイルリストを埋めつくしていたような人たちなんですが、それら皆さんが「リモートワーク」という業態に初めて触れて割と阿鼻叫喚です。

https://blog.tinect.jp/?p=64538

まず記事の本質から外れるのですが、この“社内の共有フォルダで”のくだり…。
ほんとマジでこれ。ほんとそう。サーバーに積もり積もったリテラシーの低いフォルダ名と、それを付けたであろうオッサン達と、彼らに対する鬱憤をうまく表現してくれています。さすが仕事で文章書いている人は切れ味が違うわと思ったマイ名言です。ちょっと長いですけど。

さて記事の本質的なところに戻ると、筆者のしんざきさんは急にリモートワークになってしまった会社の中間管理職ということで、管理職目線でリモートワークについていけない人への対応に四苦八苦しているようです。(そういえば、前の記事と繋りますけど、ついていけない人に期待してないようですね。やっぱり、できる人の仕事術なのかな。)

まぁでも自分もぶっちゃけ小手先ではリモートワークには対応してますが、本当の意味でリモートワークできてないかもしれないと思いました・・・。
ちょっとリモートワークで一本書いてみようと思っているのですが、がっしり机を設けて、朝定時にネクタイ締めて座り、夕方定時まで「できる仕事」をやってます。

これでいいと思ってました。しかし・・・認めたくないですが、リモートワーク前の慣習にとらわれて、本当の意味でリモートワークじゃないんじゃないかって気がしてきました。
・・・どうも記事の紹介と脱線しますね。この記事は何か結論を述べているわけではなくて、現状を報告しているニュースのようなものなので、うまく要約できませんでした。ぜひ読んでほしいです。


新規事業への参加を希望する未熟なエンジニアであれば、事業責任者の想像を超える学習量をこなし、それを示せば、困難に立ち向かえるだけの十分な熱意があると伝わるでしょう。

https://blog.tinect.jp/?p=64386

熱意は量(しかも異常な量)で示すしかない。という話です。
なんだそりゃ、脳筋かな・・・と思ったのですが、いや確かにそうですよね。

「何も形で示せるものがないけれど、熱意だけはある。だから協力してほしい。」的なことを、仕事で言われたことはあります。むろん、そんなにストレートではないけれど、要約するとそういうこと的な内容です。
当然ながら、社内的に総合すると口だけって感じの人ということが分かり、それなりに対応したのですが・・・。

「熱意とか誠意とかがあるのも大切だ。結果がすべてじゃないんだ、その人の気持ちも判断材料に入れろ」的なことを言う人は結構いますね。私もそれ自体は間違ってないと思います。
問題は熱意などの“気持ち”のレベルを外から測れないことを良いことに、

率先して手を挙げればチャンスがもらえる、言葉で熱意を伝えれば受け入れてもらえるという本質的ではないライフハックが、一部では通用しているようにも思います。

https://blog.tinect.jp/?p=64386

という人が、経験上実際にいます。
そういう人を、「口ばかりの人」と後から評することはできるので、私の仕事上はあまり大きな問題になっていませんが、採用や発注といった仕事ではかなり大きな問題でしょう。

この記事を読んでいて私なりに考えが変わったのが、「熱意は量で示すしかない」というよりむしろ、「熱意は量で測るべきだ」という考えです。

結局、熱意の定義ってなんだろうと考えると、圧倒的なやる気でしょう。圧倒的なやる気があって、スキルや経験、環境が整っていない時、人はどう行動するでしょうか?少なくとも量にはつながると思うんですよね。
逆に量がないけどやる気は有り余っているという状況が想像できません。

だから、率先して手を挙げれあば・・・の人を排除し、本当にやる気のある人を優遇するためにはどうしたらよいかと考えたとき、量をより重視して判断すべきかな。と思った次第です。


しかし、文章を書くのも難しいですね・・・以前はmixiに日記をつけたりと、定期的に文章を書くこともありましたが、最近はFacebookのちょっとした投稿など、文章を書くことが滅法減りました。

また、結婚してから隙間時間の読書が、youtubeに代わってしまい、文章を読むことも減ったようです。

文章の読み書き能力が低下したことを、一律に嘆かわしいというのも、やや懐古的かなとは思います。要はその能力がテクノロジーか何かの都合で重要ではなくなってきたからというわけですから。

しかし、私個人としてはちょっと問題です。仕事がエンジニアである以上、文章というのは成果物にどうしても含まれるので、読み書きする能力は仕事の能力の一部であると言えますから。

熱意の話じゃないですが、うまく書けるようになるには練習あるのみで省から…また三日坊主にならないように定期的に何か書いていこうと思います。

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