参政党や中道に感じる拒否感ってそういうことかも

先は自民党を支持しないけど、経済的な観点で中道や共産党よりましだから自民党に投票した…というようなことを偉そうに書いたけど、この記事を読んでそういうことだったのかもと思った。

https://president.jp/articles/-/108982?page=1

超要約すると

・若者世代は超強弁をする人・集団を本能的に嫌う
・旧泰然とした議員は強弁する傾向がある。

という話。

確かにそうかもしれない。中道の野田さんも小沢さんも、参政の神谷さんも、私は嫌いだ。
それはどっから来ているんだろう?と、考えると記事にある通り、なんか「パワハラ上司」か「カスハラクソ客」っぽいイメージしかないからだと思う。

つまり、「私が絶対に正しくて、異なっている考えはバカであり敵」みたいな考えを、彼らからすごく強く感じる。だから無意識に忌避しているってのはあるかもしれない。

義父と政治の話をしたくないのもこの辺と通じる気がする。

だいたい、年配の人って政治家のことを呼び捨てにする。みんな呼び捨てにするのであれば、公人なのだからという理屈も成り立つが、自分の賛同する政治家は「さん」付けで、自分と意見が違う政治家は呼び捨てなのだ。

僕はそういうところが嫌いだ。
政治というのは有権者全員の総意であるべきで、総意であるということは自分と異なる意見だってあるに決まっている。そもそも仮に自分の知能が平均以上だとしたら、半数以上は自分よりバカなんだから、自分には馬鹿に思えるような多数派が生まれたっておかしくないはずだろう。

だから、時には非合理的な決定が多数決で下ったとしても、それはある民主的には正しい決定である。

もちろん、非合理的な決定が多数決で選ばれることが良いことだと言っているわけではない。そうならないように努めるべきだし、アクションを取るべきだ。アクションの一環として声を上げるのも大事である。

ただ、その声のあげ方が相手を侮蔑することだったり、敵とみなしてその反動で味方の結束を高めようとするような姿勢は、ものすごく稚拙に映る。まるで原始人のようだ。

意見が違う政治家は侮蔑の対象ではなく、あくまで「そういう考え方をする」一人であるというのが私の考え方だ。

それに、真に自分が正しいのであれば、論理的に主張できるはずではないのだろうか。
非論理的な侮蔑や批判をするというのは、自分の正しさを順序だてて説明できないだけにも見える。


ヤフコメでいいなと思ったコメントがあって、

「・・・現代の若者は正しい意味で「リベラル」なのだ。自由を尊重し、多様な意見を尊重するのが本来のリベラルの在り方だ。しかし日本でリベラルを自称している勢力は、世界を敵と味方に切り分け、味方のすることは何でも称賛し、敵がやることは何でも批判する。本当の意意味で「リベラル」な若者にとって、自称リベラルの習性は「ダブスタ」「卑怯」「感じ悪い」という反感、忌避感から逃れられない・・・」

ま要するに私も言いたいのはこれよ。


そもそも選挙なんて1つの議題をyes/noするんじゃなくて、多数の議題をまとめて代表者に託すわけだ。パンの詰め合わせみたいなもので、自分の好きなもの100%の時もあるだろうが、たいていは自分と合わない主張や意見が含まれることが自然だ。

〇〇党に賛成といったって、本当は自分の考えにあう主張と、合わない主張が無けりゃおかしい。
絶対〇〇党じゃなきゃおかしい!みたいなことを言う人は、自分の考えが芯にないか、あるいは自分の考えに合わない主張を見なかったことにしていると思う。

そしてなぜかそういう人ほど、相手を「信者」であるとか「〇〇教」だというのだ。
人は相手を批判したり脅したりするとき、無意識に自分が言われたくないことを言うらしいから、そういうものなのかもしれないが・・・。


ま、とにかく最悪ではないが、あまり楽観はできない方向に転がっていると思う。
でも、それに対してやるべきことは喚きたてることじゃなく、じっと先を見て備えることだ。時に理不尽で、時に不公平かもしれないが、そういうものだ。まぁ、「スローターハウス5」でも読んどけ。

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