コロナで連想した小説「はだかの太陽」

こんばんは。
コロナ騒ぎも落ち着いてきましたが、皆様はどうお過ごしでしょうか。

ここ最近の私は以前と変わらず、関東を拠点に東へ北へ、振り子のように出張しています。
さて、出張をしていて感じることとしましては、相変らず観光客は少ないということと、一般的な人出は戻りつつあるかなといったところです。

これに対して、「ああよかった」と思う人、「なぜ家で我慢しない。けしからん。」という人、「いつまでマスクしてるの?」という様々な反応が想像できます。かくいう私は淡々と出張をこなし、「GoToごちそうさまです」と出張費の上前を撥ね、ホテルの予約がスムーズに取れる事に感謝しつつ、せっせと仕事に励んでおります。


コロナで連想した小説とは

さて、今日は小説を紹介しようと思います。
きっかけは、以前拝見したbook&appsさんの

「健康は国民の義務」を描いたディストピアSF小説『ハーモニー』の話。

https://blog.tinect.jp/?p=64971

に感銘を受けると同時に、私はコロナの様相を見て別の小説が思い浮かんだことです。

「ハーモニー」のネタバレをしない程度の、いかにコロナが連想されるかについては、引用元を参照頂ければわかりやすいと思います。

前述の記事を読んで、そう私もコロナと言えば・・・と感じたのは
「はだかの太陽 アイザック・アシモフ著」
です。

著者のアシモフ氏はSF小説で有名です。SF小説にかかわりのない方も、ドラえもん繋がりなどで「ロボット三原則」を聞いたことがあるのではないかと思ったりします。これは、「われはロボット」という作品が出元で、「アイロボット」というタイトルの映画化をされました。

さて、アシモフ氏の代表作の一つに、「鋼鉄都市」という小説があり、その続編が今回私が触れている「はだかの太陽」です。

この「鋼鉄都市」「はだかの太陽」はとても面白い小説です。SF小説なんですが、推理小説なんです。また、超科学的な話がほぼ出てこないので、あまり科学に興味がない方でも楽しめるかなと。
もしできるなら、この記事の続きを読まずに閉じて、本を買いに行ってほしいところです。両方ともkindleですぐ買えます。


「はだかの太陽」の世界観

まぁしかし、大半の人はわけのわからん本を買う気にならないでしょう。私もネタバレと分かりつつも、どういう話なのか解説をかじってから買います。従いまして、面白さは多少目減りするかもしれませんけれども、簡単に世界観を紹介しちゃいます。

小説の舞台は未来の地球。宇宙旅行ができるようになって、他の惑星に植民地ができているくらい化学が進んだ未来の地球です。

主人公はその地球の年に暮らす、とある所帯持ちの刑事「デッカード」。資源も場所も限りある地球上に、なんとか暮らしていくために、人類は都市に密集し・・・我々の感がている東京や大阪などよりはるかに密集した都市、「シティ」で暮らしています。

シティは一種の超大型マンション・ショッピングセンター・工場のくっついた巨大構造物となっていて、人々は普段外に出ないで暮らしています。

そんな地球のシティでの生活環境は良くありません。人口は微増する一方で、資源はどんどん枯渇していき、個人の自由はナチュラルに制限されています。効率を追求するため、個人宅には風呂やテレビはなく、基本的に寝るだけの家です。食料は食堂で配給を受けるし、テレビは各戸に割り当てられた時間を使って、映写室を借りてみる、風呂は共同の風呂ブースを使うといった塩梅です。今の都市がより高度になったもので、私は以前在籍していた大手企業の寮(8号棟まであったので、団地みたいなもんですが)を思い起こすような感じです・・・。

ところで一方で、宇宙に植民地があるといいましたが、そちらは豊かな暮らしを送っているのです。
一つの惑星に数千人程度しか住んでいないので、一人の居宅は宮殿のように広く、隣家は見えるような位置にはありません。

また地球と比べて、高度にロボット化が進んでおり、単純労働が必要ないのです。人々は研究や芸術の探求に没頭しています。一方で地球はロボット化がほとんど進まず、むしろロボットは労働者の仕事を奪うとヘイトを集めていて、ロボット化があまり進んでいません。

そうすると、環境が悪い地球から、人の少ない宇宙植民地に行きたいという人も居るでしょう。ところが、地球と宇宙植民地との交流は極めて厳しく制限されていて、双方が移住したりすることはできません。地球上に宇宙植民地の出張所があり、そこに交渉や研究のための少数の宇宙植民地人が居留しているに限る状況です。

そんな感じで、お互いに関わり合いにならないように生活している二つの世界が描かれているのですが、この二つの世界の間で事件が起こり、その捜査に主人公の「デッカード」が巻き込まれるという話が、「鋼鉄都市」です。
更に、その後に宇宙植民地で起こる事件に巻き込まれていく話が「はだかの太陽」という具合です。

最初はこの「世界観」の章は「あらすじ」としようと考えていましたが・・・綺麗にストーリーと全く関係なく、本題箇所が紹介できてしまいました。前述の紹介を読んだ後でも、面白さは全くスポイルされないと思いますので、ぜひ購読をお勧めします。


どの辺がコロナを彷彿させるか

で、物語の中盤でわかってきますが、宇宙都市には風邪を含めて病気が無いのです。病原菌を保菌する動物や昆虫がいないことがまず一つ。宇宙に出るときに徹底的に菌を排除してたというわけです。

そして、どうやってその状態が保たれているのかの説明として、人の接触機会が非常に少ない文化になっているのです。

まず会談をする場合、地球では映話(ビデオ通話・・・今どきだとZoomですかね。)を電話のように使い、一方で通常の会話や会談は普通に行います。映話はあくまで遠方から急ぎの用件を伝える代用品であって、コミュニケーションの中心は今と同じで面会して話すわけです。

しかし、宇宙都市ではなんでも3Dホログラム通話を使うのです。
この3Dホログラム通話が超ご都合主義で、いろいろ便利すぎて・・・映像と分からないほど精巧ということです。
会談はもちろんのこと、会食も3Dホログラム通話で行う徹底ぶり。

それどころか、夫婦であっても直接会うことは可能な限り避け、通常の生活は全部3Dホログラム通話で行うのです。

要は人と合うのが不潔・恥ずかしいという文化なんです。作中では、無理に面談した宇宙植民地人の一人が卒倒し、「あなたと同じ部屋にいるということは、あなたの吐いた空気を、私が吸い込んでいるということだ。想像すると酷い嫌悪感が・・・」と説明しています。地球人のデッカードは当然、「なにを馬鹿馬鹿しい」と一蹴しています。

とはいえ我々だって、原始人がタイムスリップしてきて、「裸で外を歩くだけだろう。見られたから何の害があるのだ」と言ってきたようなものでしょう。我々もつうい数千年前までは裸で生活していたのに、今は裸で外をうろつくなんで正気ではないと考えるでしょう。それと似たようなものかなと。


この何でもリモートってところが、まずコロナの渦中を連想しました。
更に付け加えると、今までそれほど不潔だと思っていなかった行為が、ある日を境に不潔と認識されるようになったという、このギャップがどこか連想させるかなと。

コロナ前の我々の常識では、「少々熱があっても会社に行く、我慢して用事を済ますのが美徳」とされていました。また、マスクをせずに咳やクシャミを連発していても、特別な嫌悪感を抱かれるほどではなく、「唾が汚いなぁ」といった程度であったと思います。

それが、コロナを跨ぐことによって、「少しでも熱があるなら外出しない」のがマナーとされ、マスクをせずに咳やクシャミなどしていようものなら、周囲から「非常識な人」と見られるようになったと思います。

そして思うこと

そして、宇宙植民地側が地球からの往来をなぜ拒んでいるかというと、地球は宇宙植民地側から見ると「新型」となるウィルスで溢れているからです。

そうやって往来を断絶して長い時間が経過すると、お互い全く違う方向に進歩していって、更に断絶を強化してしまっていった・・・そんな感じの背景があるようです。

従って、このまま渡航制限が続いたり、地方の「よそ者お断り」が続き、ある臨界点を超えると、お互いに交流をしないようになってしまうのではないかなというのがまずひとつ。

もう一つは、免疫です。そんなにすぐに変わるものではないと思いますが、風邪をひかなくなることにより、免疫が弱くなったりしないのかが気になります。
「ハーモニー」の世界ではメディケアという、体内に仕込んだマイクロマシンが病気に対処してくれる…つまり人工的な免疫があるので、そこは問題となっていません。
一方で、この「はだかの太陽」の宇宙植民地人は、そこまでのテクノロジーが発達していない前提です。このため、彼らは病原菌の無い世界で生活しているので、我々が普通の持っている免疫がなく、このため感染の恐れがある環境と交流できないわけです。

このコロナ騒動の渦中、偶然かもしれませんが私は一度も風邪をひいていません。これってとても快適なことなのですが・・・免疫に関しては大丈夫なのかな?と思ったりもします。

特に成人であれば急激に免疫が落ちることはないと思いますが、子供なんかは風邪をひいて免疫を鍛えるステージにあるのでしょうから、子供の頃ほとんどウィルスに晒されないと、どんな影響が出るのかちょっと気になります。

まとめ

ということで、この2冊。とってもおすすめです。
ぜひ読んでみてほしいです。

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