丸善口にアップダウンはあった(写真撮ってきた)
先日のhubから日本橋駅に行くルートに文句を付けた投稿
http://curo5170.s1008.xrea.com/x/20231002_post-951/
にて、
とした件、出張があったので見てきた。
写真は日本橋口から丸善側を撮影したものである。
若干記憶と違ったが、このとおりいったん下がったのに、日本橋駅に向かって少し登り階段があるのである。(地下にある駅側から撮影しているので、本来は外に向かって下り階段があるのがおかしい)
理由に関する推定は先の投稿の通り、「日本橋通りの共同溝を避けているのではないか」である。
日本橋駅の共同溝覗き口
で、これまで全然気づかなかけど、この写真の後ろに上り階段があった。
(これまで“気づかなかった”と言ったけど、結婚式場に通ったときになんか見たような気がする・・・私はこのあたりで結婚式を挙げたのだ。)
中はこんな感じ。
よく見たらココとか破断して札が落ちとるやんけ。
この札には何が書いてあったのだろうと探してみると、2010年の日経クロステックの記事で同じ画角と思われる写真があった。[電力ケーブル 電圧3300V]と書いてあったようだ。
(Webで検索すると銀座駅の共同溝覗き窓の写真と混在して表示されるのでちょっと難しいが・・・とりあえず私の写真は日本橋駅だ。)
もう少し探したのだが、パッと見つかる範囲では国交省のものか従前の日経を切り抜きしたものなどしかなく、実際に筆者が撮影した写真を使用していると思われるのはこれくらいだった。
投稿日は2021年12月となっており、この時点で管は切れて札は落ちている。なんか光源の位置関係が違う気がするけど、同じ窓なのだろうか???
ケーブルを引き換えた?
ちょっと気になったのは、この管が切れたのはどうしたのかなってこと。
電力と書いてあるので、この管はいわゆる電線管であると思われる。工場などでは配管に色を塗る指定があるところがあって、電線管はだいたいオレンジだから、それとも一致する。色を塗るのは、万が一中身を勘違いして加工すると、大惨事になるからである・・・。
電線管なら本来は中にケーブルが通っているはず。しかし、写真を見ればわかるが、この切れている菅は空っぽである。
日経の写真には見えないが、今の写真では電線管の一段上にしめ縄状の黒いケーブルが通っていることが分かる。これは恐らくCVTケーブルだと思う。CVTというのは、Tは3本よじったもの「トリプレックス」の頭文字で、CVは「架橋ポリエチレンビニールシースケーブル」の架橋=CROSS-と、ビニールVINLYの頭文字をとったものである。
我々の仕事で大容量の動力を使う場合に、一般的に使用するケーブルのもCVTである。
さて、そもそも電線管とは何なのかというと、「電線」を保護するための管である。電線を人が容易に触れられる高さに配線する場合、電線管に類するものに入れないといけないという決まりがある。
ところが、ケーブルならその決まりに制約されない。ケーブルを電線管に入れることは多いが、法規的な理由で入れているのではなく、単に保護管的な意味で入れる。
まぁ、CVTケーブルの耐用は15年くらいだから、少なくとも一回は引き替えをしているはず。
(実際は事故が起こるまで交換しない場合も多いと聞くが・・・それでも30年もたてば交換するだろう)
なので引き替えが行われて、そのタイミングで管から出して敷設したのかなと推測する。
本来、引き換える場合は古いケーブルの末端に、新しいケーブルをくっつけて、反対側からウィンチみたいなので引っ張り込む工法を使う場合が多いのだ。だって中間部をこんな太いケーブルを持って歩くのは大変でしょう?
このため本来は上に敷設しなおすよりも、管内に通したほうが楽なはずだ。だから上に移動したということは何か理由があったのだと思う。
一つは管内が劣化して、引っこ抜けなくなってしまったというパターンだ。いくらウィンチで引っ張るとはいえ、錆とか塗装でケーブルが軽くくっついてしまっていると、引っ張っても抜けない場合がある。そもそも通すときだって、通線剤といって滑りをよくするための油みたいなのを塗って通すくらいだからだ。
もう一つは線種か容量を変えたのかもしれない。太い電線に交換したか、電圧の高い電線に交換したものかも・・・
そもそも3300Vなの?
あともう一つ疑問なのは、「3300V」ってところである。
一般的に日本の電圧は100/200Vで供給されるのは知っていると思う。
もう少し電気に詳しければ、電柱まではもっと高い電圧で供給されていて、それを柱上トランスで降圧して作っている知っていると思うけれど、100/200Vの一個上の電圧は何ボルトかは知っているだろうか。
私は普通は6600Vだと聞いている。
というのも、100/200Vの契約を従来電灯といい、これは容量が50kVA未満の場合に限る。
容量が50kVA以上になると、高圧電力という契約になり、高圧電力は6600Vで供給される。コンビニとかマンションとかは、だいたいこの6600Vで電柱から引き込んで、キュービクルと呼んでいるトランスが入った箱で100/200V、場合によっては400Vを作っている。
更に500kVAを超える場合は特別高圧といって20kVや50kVで供給されて、自設備に変電所を設けて高圧を作るようになる。
なので、基本的に電力会社から3300Vで電気を受け取ることは無い・・・という認識だったのだが、間違っていただろうか?工場なんかだと特別高圧で受電して、特別高圧の電圧では取り扱いが難しい(開閉器や電線が高コストになる)ことから、高圧に落として負荷に分配するので、工場によっては高圧として3300Vを使用しているところもある。自分の勤務先もどこだかは3300Vを使ってたはず。
なので、この線はどっかで特別高圧で受電して分配している途中の部分なんだろうか?
電気に関わっていながらその辺のことあんま考えたことが無い(私の設計範囲は低圧側だからだ・・・)ので、ちょっと調べてみたところ、戦前の名残の様だ。
それについてもう少しトラディショナルな資料も見つけた。
1890年,東京電燈は交流配電を開始した。…1915年,三井本館の受電方式として3kVの本線・予備線2回線受電方式を採用した。….1938年,第一生命ビルの受電方式として,我が国で最初の特別高圧22kV三相3線式の地下ケーブルで2回線受電を実用化した。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/30/5/30_341/_pdf/-char/ja
とある。ここでいう三井本館とは、日本橋駅の一つ隣の三越前駅にある三井本館のことだとすると、1915年から始まったこの辺の配電は3300Vであったようだ。第一生命ビルは特高で22kVとあるが、これは有楽町にあった第一生命ビルのことであったと思われるので、この辺よりはもっと北の話である。
さらに追っていくと、戦前は様々な配電電圧が混在していたようで、1959年に全国の電力会社が集まって、高圧配電の電圧を6600Vに統一することを決めたようだ。これが現在私が高圧は6600Vじゃないの?というところに繋がるという訳だ。結構歴史ある話だったのね。
高圧配電電圧の切り替えは15か年計画と呼ばれ、15年かけて実施されたというから、具体的には1959~1974年に順次切り替えていったということになる。
配電電圧の歴史とは関係なく、この共同溝の動力ケーブルは何らかの特高の二次側なのかもしれないが、下のブログに掲示されている日本橋共同溝の解説板の文章を確認すると、日本橋共同溝の完成は1972年とあるため、切替の時期と重複する。
共同溝の計画から完成まで何年かかったか分からないが、13年は掛からないだろうから、計画した段階で高圧配電が6600Vに切り替わることは分かっていたと思われるが・・・まぁ、3300Vとしたことに何らかの関りがあるのかもしれない。
その延長で考えると、私の勤務先の工場も約50年前に建設されたから、この電圧の切り替え時期に近い。構内に3300V系があるのは創業時の名残なのかもしれない。
というか、この動力ケーブルって何の動力ケーブルなんだろう?沿線のビルの動力には全然足りそうにないが・・・。電灯とか信号機用かな?