最近、あまり妻が料理をしない。
全くしないわけではないのだけれど、基本的に焼くだけ系なんだよなぁ。
まぁ、焼くだけでも結構奥が深くて、同じコストコの肉でも私が焼くのと妻が焼くのでは味が違う。
私の焼き方では裏→表→裏→表・・・みたいに加減を見ながら何回かひっくり返してしまう。
妻はちゃんと時間を見積もって裏→表と一発で決める。この違いが味に何か影響を及ぼしているのかも・・・
脱線したが、妻の料理スキルが足りないという話ではなくて、単にあまりやりたがらないというだけのことである。
けど、そもそもそういう話じゃない。
メシマズの話を聞いてふと思い出したのだ。
祖母と母の飯はまずかった
私の母の料理はお世辞にもあまり美味しくなかった。
祖母の料理はもっと美味しくなかった・・・。
なんで飯がまずかったんだろうな?とふと思ったんだけど、あんまり外食しなかったからじゃなかろうか?祖母は大の旅行嫌いで、遠出するのをとにかく嫌がった。
自宅から半径10km以上に出たがらなかった。本人が言っていたことで裏をとっていないが、「人生で一度も飛行機に乗らなかった」らしい。
まぁ、祖母が住んでいた仙台市の中腹というのは大変便利な立地で、山側に10kmほど行けば温泉もあるし、海側に10kmほど行けば県庁所在地やデパートのある市内中心部を通り越して、卸売市場なんかにも行ける。
思い返してみると、ある意味で都内に住んでいるより何でもすぐ手が届く・・・働かないなら都内より優雅な立地でもあった気がする。
電車は少ないんだけど、日中ならバスが縦横無尽に走っているから、バスをマスターした祖母は自家用車より自由に移動していた。
そんな祖母だったけれど、飯はまずかった・・・特に洋食と中華がまずかった。
和食とかカレーは普通に作れるんだけど、例えばラーメンなんかえってくらいまずかった。
確かスーパーで売ってる生めんを”麵つゆ”にぶち込んだやつにネギを少し載せた、兄弟の中で「めんつゆラーメン」と恐れられているメニューがあったりした。
なぜまずかったのか・・・?
ふと思ったのだけれど、祖母は基本的に外食しなかった。服を買ったり、健康食品を買ったりと無駄遣いは大好きだったけれど、グルメには全く興味が無かった。
母は食べるのが好きだったが・・・兄弟の多い家庭だったから、1回外食するとエラい金額である。従ってあまり外食は多くなかった。
まずいのは外食しないからでは・・・?
子供たちは給食や学食という形で、日常的に一種の外食をしている。
ところが母・祖母は滅多に外食をしない。
これが「まずい」という形で隔絶を産んでいたんじゃないかなって気がしてきた。
たぶん、美味しい/不味いってある程度は絶対的、つまり生物的な基準で決まる部分もあると思うんだけど、そのほかに食べなれた味付けっていう経験的な部分もあるんじゃないかな。
つまり、一般社会で美味しいとされる味付け みたいなのがあるんじゃないかと思う。
だから、外食をしている人と、していない人では「美味しい味」が異なってくるんではないか。
それで外食をしない母の飯はまずい、変なアレンジをすると言われてしまうのかも・・・。